とろろと雑記

日常の生活や好きなものを黒歴史になる程度に赤裸々に記録していくブログ。

2020年4月7日

今日の娯楽

ab initio アーティスト

ab initio(アブイニシオ)Official web site

内容

日本の4人組バンド。

2018年、オーディション「BANDWARS」でグランプリを獲得。

同年音楽レーベル、LINE RECORDSからデビューする。

2019年12月に活動休止。

コメント

あれは2017年だったと思う。普段つけないカーラジオをつけて、駅までの道をルーティン通りに運転していたとき。

急に音楽が耳に飛び込んできた。 月並みな表現だけど飛び込んできたとしか形容しようがない。

慌てて意識を集中させたが、曲名の紹介は終わっていた。仕方なく車を路肩に止めて、歌詞から曲を検索した。 試し聞きをしながらこの曲でもない、この曲でもないとやっていたら、いつしかたどり着いた。

当時はインディーズはほぼ聞いていなかったが、この叫ぶようなサビにすっかりやられた。 わたしは何かを叫んでいるような曲が好きなんだろう。残念ながら活動を休止してしまったけれど、このアーティストに出会えてよかったと心から思える。

「もしかしたら、運命かもなぁ」


以下雑記

戦争

わたしは今、にじさんじという企業グループにハマっている。Live2Dを駆使して主に動画などのコンテンツを日々配信している、要はVtuber集団だ。(なお厳密には違うらしい。)

配信者という存在は昔から知っていたし、Vtuberが流行り始めたときも、何となく動向は追ってはいた。 まさかこんなに傾倒することになるとは思わなかったが。

ここでわたしが気になっている配信者の話をしてもいいが、文字数にも限りがあるので、それはまたの機会に取っておくとする。

今日は戦争の話をしよう。

にじさんじでは、Ark: Survival Evolvedというゲームがこのところ盛んに行われていた。これは恐竜たちを捕まえ、文明を発展させる、サバイバルアクションゲームだ。サーバー上の他者と協力して、あるいは対立して、ゲームを楽しむことができる。

当初、にじさんじでは協力が主だった。 時に同盟、時に庇護。少しづつ文明を発展させる楽しみがあったが、正直その段階ではわたしはこれらの配信を追うことに興味はなかった。

私生活が忙しかったのもあるが、まあ環境の違うマインクラフトみたいなものだろうという意識が消えなかったのだ。

しかしある時を境に、一人のライバーが周囲を巻き込んで問題を起こし始めた。 それは一種プロレス的で、一つのメッセージを発信していた。

戦おう。そっちの方が面白いでしょう?

シンプルなメッセージは瞬く間にサーバー全土に広がり、世界を三分する大戦に発展した。

一つ間違えたらバランスを崩していたかもしれないサーバー全体を巻き込んだお祭りは、昨夜無事に終結した。

終結した感想としては一つだけだ。 面白かった。心の底からワクワクした。

こういうと誤解を招くかもしれないがあえて言おう。やはり競争は、戦いは、魅力的だ。互いが少しでもよくあろうと全力を出し切って一つの目的に挑むのだ。 勝てば称賛され、負ければ全てを失う。 どこまでも残酷で、だからこそ美しい。

これを美しいと感じてしまう人は、これから世界平和を築き上げる上で、あまり理想的な人間ではないのだろう。でも、だから、この感性を大事にしていけたら良いなと思う。


音楽

音楽には昔から、強い憧憬と同時に忌避感がある。

音楽は好きだ。 暇があればツタヤで借りてきたJ-POPを聴いているし、ネットでVOCALOIDもよく聴く。 そういうとき、音楽が楽しいものだという自覚はある。この原稿も携帯に入れた曲を流しながら書いている。

しかし、楽しいでしょう?一緒に歌おう?みたいな音楽の授業のような音楽は、もうどうしても慣れないのだ。否定したくなってしまう。 平和を目的としている音楽と言うか、そういう類いのものだ。

好きな方がいたら申し訳ない。

しかし平和な音楽が好きな方に対して、面と向かって否定する訳にもいかず(何度かやったけど)、かと言って認めることも納得ができず、距離を取っているうちにすっかり音楽に関わることが苦手になってしまった。

いわゆる音楽性の違いというやつだろうか。解散だ解散。

わたしの好きな音楽は、いわゆる『うるさい音楽』だ。陳腐でもいい。なんか叫んでるともっといい。

ジャンルには特にこだわりはないが、活字中毒だったことも相まって、すっかり日本語歌詞のついているものしか聴かなくなってしまった。歌詞の意図についてつらつら考えるのが好きだ。

音楽的表現技法?難しいことは知らない。 知らないからか、わたしの好きな音楽は完全に感性に準拠している。 この感性は文章が好きなことに起因するのか、とても歌詞にリンクしていて、わたしの好きな曲は大体わたしの好きな歌詞をしている。

まあ話がとっ散らかっちゃったので、そろそろ総括しよう。

わたしの好きな曲を嫌いな人がいるだろうし、わたしの嫌いな曲が大好きな人もいるだろう。だからそういう真の意味で自由な、音楽が好きなのだ。

こんなところで終わらせておこう。